「100%幸せな1%の人々」 小林正観 著 中経出版 2012年 より
<42 子どもが幼くして亡くなるのは、悲しみの体験を通じて、親を優しく成長させようとしている>子どもがかわいい盛り、3歳、4歳、5歳、あるいは10歳くらいで亡くなっていく場合があります。
残された親は、これ以上ないという悲しみを味わうのですが、実はそれは「子ども自身が生まれる前に書いてきたプログラム」であり、親もそういうかたちで「子どもを先に逝かせる」というシナリオで合意した上ででき上がっていることらしいのです。
3歳の子どもたち数百人に「おばさんのおなかに来る前は、どこにいたの?」と質問をしたところ、生まれてくる前の記憶を宿していた子どもが20人ほどいて、しかもその20人が、みんな同じことを言いました。
「上空からお母さんを見下ろしていた。お母さんが寂しそうだったから、話相手になってあげようと思った。そうしたら、真っ暗闇の中に飛び込んで、目をあけたら知らない人ばかりだったから、泣いちゃった」と。
すべては「生まれてくる前に書いたシナリオどおり」なのです。
ですから、親はいたずらに悲しむのではなく、その「幼くして死んでいった子どもの意味」というのを、本当に把握すべきだろうと思います。
幼くして死んでいった子どもは、その使命として何をこの世に伝えに来たのかというと、残された人に対して、悲しみを与えに来たのだということです。悲しませるためにこのように生まれ、早く死んでいった。そういうことにほかなりません。
残された親は、悲しむのは当然なのですが、「その悲しみを笑顔で乗り越えられるか」を聞かれているのです。
悲しみを引きずることが必要なのではなく、それをいかに早く克服して、その悲しみさえも実は悲しみではなく、自分にいろいろなものを与えにきてくださったものなのだということを把握し、それを笑顔で乗り越えていくことを、この世で問われています。
そういう悲しみの体験を通じて、その親は他の悩みや苦しみ、つらい思いをしている人たちの人生相談に乗ることができ、その人たちに優しいアドバイスができ、心温まる言葉でその人を励まし、慰めることができるに違いありません。
そういうことをやらせるために、そういう立場になってほしいがために、人間がこれ以上味わえないであろう最大の悲しみである、「一番かわいい盛りの子を亡くす」
という現象をその子どもは見せに来ているのです。
ですから、人間の感情として、3ヵ月や半年、あるいは1年ぐらい悲しんでもしかたがないと思いますが、それをいつまでも何年も引きずっているのは感心できません。
「子どもが幼くして死んでいったことの意昧」はそういうことなのです。
1日も早く乗り越えて、それを糧として笑顔で他の人たちにアドバイスができるようになること、それこそが、死んでいった子どもが親に対して投げかけたメッセージの本質なのです。ブログをご覧いただきありがとうございます。
テーマ:スピリチュアル - ジャンル:心と身体
- 2017/01/14(土) 21:08:54|
- 小林正観さん
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