「働く気持ちに火をつける」 斎藤孝 著 文藝春秋 2005年 を図書館で読んで、印象に残ったり参考になった部分をメモしてきました。
●「働く呪文」→「ミッション、パッション、ハイテンション!」
・ミッション・・・触発される力、使命
出会ったものに触発されて自分の使命へと高める技
・パッション・・・ネガティブ体験を情熱へと反転させる技
・ハイテンション・・・上機嫌パワー、ハイテンションな身体でポジションをゲットする技
「ミッション、パッション、ハイテンション!」と叫んでから仕事をしよう。
●本物との出会いは強烈だ
小学生の時に静岡の草薙(くさなぎ)球場で行われた巨人軍の試合を見に行って、ファウルボールを拾った。
このとき長嶋から、「おおい、ぼうず、こっち、こっち」と言われ、長嶋のグローブめがけて返球した。長嶋が私の投げたボールをキャッチした。
たったそれだけのことなのだが、なんだかうれしくて、翌日からひとり野球の特訓に入っていた。
●東洋の気功法に、「気を放つ」というエネルギーの発散法がある。気を出すと、エネルギーが目減りしていくかといえば、そうではない。出せば出すほどまた新しいエネルギーが湧き出て、無尽蔵にあふれ出す。それが人間の身体だ。
●ミッション感覚を鋭敏にするためには、まず伝記を読むことを勧めたい。
日本には、お金をたくさん稼ぐのは汚らしいと考える風潮があるせいか、子供向けの伝記物語には、例えば良寛和尚など、清廉潔白な人の本が多い。しかし私は、若いうちから経営者の伝記や創業者の本などももっと読んだほうがいいと思っている。
ちなみに私は、仕事にまつわることでもっとも価値があることのひとつは、雇用を生むことだと思っている。自分以外の人もやりがいを持って働ける環境を提供し、そこからお金を得ることができる仕事を作り出せるというのは、もっと評価されてしかるべきものだ。
●その仕事をやっている限りはちょっとずつでも向上していく喜びがある。それが自分に向いている天職だ。
才能のかけらに振り回されるより、「これをやっている時の自分が楽しい」という気持ちを軸にすると、クリアに仕事と自分との関係が見えてくる。
反対に、小器用にやれはしても向上していく手応えを感じないときは、その仕事は向いていないのかもしれない。
●最初はお金を儲けたい、自分が目立ちたいといった私利私欲で始めたことであっても、そこに人が集まってきたときには、もう自分一人の事業ではないのだ。
公共的な意義を感じて私企業を運営するのは、ある種、理想的な仕事の仕方だと思う。
●井深大(ソニー)「わが友 本田宗一郎」より
「私も本田さんも競争はむしろ大歓迎でした。どんな産業でも、自由化を進めて政府の保護を断ることが、体質を強化することになるのだ、ということでは、ふたりの意見はまったく一致していました」
●仕事をゲーム化する。ちょっとしたルールを取り入れるだけで、単純な仕事もスリリングなゲームとなる
(例) ・時間を区切る
・勝ち負けをあいまいにせず、暫定的にでも決めていく
●井上陽水は、ある本でこんなことを言っていた。曲を作るのはものすごくクリエイティブな作業のように思われているが、「襖(ふすま)職人」のような感覚に近いという。
「基本的には襖張りと同じです」という言葉が印象的だった。・・・納期になれば、パパッと襖を張り、「一丁上がり」と次々仕事を仕上げていくような感覚なのかもしれない。
●もし単調な労働を命じられたときには、思わず「ラッキー!」と考えてみよう。
人間の脳のメカニズムから言えば、セロトニンはリズミカルな反復、たとえば歩くというような単純な行為によって動き出すのだ。
そう考えると、単純労働にはセロトニン神経系を活性化させる役割がある。これは一種の禅に近く、瞑想に入りやすくなる状態だ。
●ドイツの哲学者カントは、「疑う余地のない純粋な喜悦の一つは、勤労のあとの休息である」と言った。
職人的な情熱で仕事に臨み、エネルギーを出し切ったあとの爽快感は、それ自体が何にも代えがたい人生の喜びだ。祝祭的な瞬間といってもいい。
●歌手の小林幸子は15歳のとき、両親が借金返済のために新潟の生家を売って上京している。翌年家を買ってくれた人のところにあいさつに行ったときのことだ。
1年前までは我が家だったところで、他人から「お上がりください」「お座りください」と言われることがたまらなく屈辱的だったそうだ。何としてもその家を買い戻そうと思ったという。それがその後仕事での様々な困難を乗り越えさせる巨大なエネルギーとなった。ブログをご覧いただきありがとうございます。
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- 2016/06/15(水) 02:47:31|
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