カメラ片手に・・・写真などいろいろなこと

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「100%幸せな1%の人々」 小林正観 著 その59(最終回)

「100%幸せな1%の人々」 小林正観 著 中経出版 2012年 より

<59 私たちの人生は、目に見えない4者と、目に見える4者のおかげで成り立っている>

お釈迦様の悟りに「縁起の法則」というのがあります。

私たちの人生は、自分の思いや努力によって作られているのではなく、「自分以外のすべて(神仏やまわりの人々)のおかげ」で成り立っている、という意味でした。

もちろん、努力や頑張ることで達成できることや解決できる問題もあります。
しかし、それは自分の力によって直接結果が出たのではなくて、誠実に生きている「私」の姿を認めてくださる神仏や、友人、知人、家族の支えによって得られたものなのです。

人生には、自分の努力ではどうにもならない問題を突きつけられることがあります
そのとき、人間は謙虚にならざるを得ません。
つまり、「自分の力だけではできない」と思い定めること。それが、「努力しない」「頑張らない」「必死にならない」こととつながります。

最終的に私たちができることは、目に見えない4者(神、仏、精霊、守護霊)と、目に見える4者(友人、知人、家族、自分の体)に対して「お任せする」こと、つまり、常に「ありがとう」を言いながら、感謝をして生きていくことだけです。

それによって、「ありがとう」と言われた8者が共感共鳴するのでしょうか、みんなが味方になり、「私」ひとりの力ではとても及ばないような大きな力で支援をしてくれるようです。



今回で最終回です。
ご覧いただきありがとうございました。







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  1. 2017/08/06(日) 01:40:00|
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「100%幸せな1%の人々」 小林正観 著 その58

「100%幸せな1%の人々」 小林正観 著 中経出版 2012年 より

<58 「そこから先は神の領域」>

私は、ノートに書き写すことは滅多にないのですが、作家の三浦綾子さんのエッセーを読んで、「これはいい言葉だ。素晴らしい」と思い、自分でノートに書き写した言葉があります。その三浦綾子さんの言葉は、このようなものでした。

「そこから先は神の領域」

私はこの言葉を、いつも思い出すように生きています。結局、やるべきことは「う・た・し(嬉しい・楽しい・幸せ)」の人、「きれい」な人、「謙虚」な人、「誠実」な人、「素直」な人、という5つの人格を目指すことなのですが、「そこから先は神の領域」ということです。

数字や売上を「こうしよう」というのは驕りです。私たちにできることは、この5つを目指すことであって、「そこから先は神の領域」です。
だから、売上がどうの、という話になると、神の領域に踏み込んでものを考えている、ということになります。

年間300回以上の講演会をやっていますが、よく「疲れないのですか?」と聞かれることがあります。それに対して私は「このまま疲れ果てて死んでいきます」と言っています。
「じゃあ、講演を断って半分くらいにして、長生きすればいいじゃないですか」と言う人もいるのですが、私の場合は「そこから先は神の領域」。頼まれたことは、「はいはい」、と言いながら淡々とやって、疲れ果てて死ぬ、というだけのことです。

もし、ガンになった人が、「ガンと闘うぞ」と決めたとすると、神の領域に踏み込んで闘おうとするからつらい。ガンになって「3、4ヵ月で死ぬ」と言われたら、「そこから先は神の領域」というふうに腹をくくる、という考え方もある。
すべてのことについて、「そこから先は神の領域」と考えると、ずいぶんラクになります

自分の人格として、手の届く範囲の身のまわりを「キレイ」にする。
「謙虚」に物事を考える。
「誠実」に生きる。
というのは自分の手の内にあることですが、
「そこから何か生まれるの?」
「そこから先、自分の人生はどうなるの?」
ということについては、「そこから先は神の領域」なのかもしれません。

三浦綾子さんは、ガン、膠原病、パーキンソン病にもなりました。そういうときに、自分でできることはするのですが、「これはどういう意味があるの」と、いちいち問いかけませんでした。
「そこから先は神の領域」という思想があったから、いつも心穏やかに生きていくことができたのだと思います。

三浦綾子さんはクリスチャンだったから、そう思えたのかもしれませんが、私たちはクリスチャンや仏教徒でなくても、「そこから先は神の領域」ということを頭の中に入れておくと、人生がすごくラクになります。




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  1. 2017/07/15(土) 22:08:00|
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「100%幸せな1%の人々」 小林正観 著 その57

「100%幸せな1%の人々」 小林正観 著 中経出版 2012年 より

<57 「守護霊(しゅごれい)」はあなたを好きで好きでしょうがなくて、すべての現象を起こしてくれている>

神様と言っても、神様にもランクがあるらしく、一番下のランクが「守護霊」というもので、1人に1人ずつくっついて、その人を支援します。

守護霊は、この人の目の前で起こる現象に対して「ありがとうございます。嬉しい、楽しい」と言っていると、その現象をどんどん起こして支援してあげようと思います。
しかし、その人の口から不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句が出た瞬間に、いきなり膝を抱えて壁の前に座ってしまうらしい。しょんぼりするようです。

というのは、この人を好きで好きでしょうがなくて、この人によかれと思って、この人が喜ぶように全部やってあげているのです。守護霊は、この人がシナリオを書いたとおり、すべて、ものすごい苦労を重ねながら舞台設定をしています。

あちこちの守護霊に意見を仰いだり、携帯電話をかけまくったり、走り回ったり、一生懸命この人が好むようにしているのです。
ですから、それに対して、ブツクサ言った瞬間に「どうして?」と言いながら、守護霊はしょんぼりして壁の前に膝を抱えて座り込んでしまうのだそうです。

しかし、おもしろいことに、守護霊に対してある言葉を言った瞬間に、ニコッと笑って支援の方向に変わります。
その魔法の呪文は、たったのひとことだけ。
「ありがとう」という言葉です。

たとえ心を込めなくても、この人の口から出た瞬間に、守護霊は戻ってきます。そして、守護霊の支援があるかないかで、人生はまったく違うものになっていくのです。

実は、「守護霊がいつからいつまでいてくれて、いつからいつまでいないのか」ということも、全部自分がシナリオを書いています。
その呪いの言葉(不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句)を言った瞬間から「ありがとう」を言うまではかなり苦労の多い人生、ということも、自分で体験するために書いているので、それはそれで意味があります。

守護霊は、私たちとコミュニケーションできますが、それは会話という方法ではなく、ただひたすら「私たちを見守っている」というありようです。

この人をずっと見ていて、この人のやっていること、存在することが、まわりから喜ばれるために必要なことだったら「では私(守護霊)はあなたを評価して神様に伝えてあげよう」ということで伝えてくれるらしい

ですから、守護霊に評価された人は、神様からもいろいろ支持をいただけるようです。





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  1. 2017/06/06(火) 21:32:00|
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「100%幸せな1%の人々」 小林正観 著 その56

「100%幸せな1%の人々」 小林正観 著 中経出版 2012年 より

<56 「自我+お任せ=100」
    努力したのに報われないのではなく、「努力したから報われない」>

 
どうやら「神様」というのは、「やる気のない人」を後押ししたいようです。
やる気がなければないほど後押しされます。そうなると、自分が何かを希望しているわけではないのに、やらされることになります。
 
宇宙には、「自我+お任せ=100」という方程式があります。
自我というのは、好き嫌いのこと。たとえば、自我が90のときは、お任せが10ということになります。
年月をかけて、自我がゼロになると、お任せが100になります。そうすると、人生がとてもおもしろくなるんです。

三次元的な話でいえば、自分の思いがあるから、思いどおりにならないことが生まれるわけです。そして思いが強いほど、思いどおりにならないことが多くなって、苦しい。それがイヤならば、思いを持たないようにする。

これまでの学校教育というのは、「思いを持つこと」や、「足りないものをリストアップしてそれを手に入れること」が幸せであると教えてきました。幸せというのは、「強く思えば手に入る」というのです。
それは「西洋文明」の考え方でもありますが、たとえば「今の30倍努力しなければ幸せは手に入らない。手に入らないかぎり不幸だ」という教育論で生きている人は、やがて体が壊れてしまいます。そういう生き方がイヤだと体が反応します。

体が「イヤだ」という信号を出しているとしたら、その人にとって西洋文明の考え方は合っていないということ。西洋文明の考え方が合わないのであれば、もう1つの考え方に切り替えてみてはどうでしょうか。
つまり、「思いを持たないこと」。

自分の人生が、努力のわりに報われないと思っている人がいたとします。でも、「努力したのに報われない」という因果関係ではありません。「努力したから報われない」のかもしれません。

努力をするのは、現状が気に入らないからです。現状を変えたいと思うからこそ、努力をします。つまり、努力をするということは、「今の商売のレベルでは気に入らない」とか「今の金運では気に入らない」と言っていることと同じ。そして、それを言った瞬間に、神様に「宣戦布告」をしたことになるのです。

神様にえこひいきをされるためには、どんなことに対しても、不平不満を言わないこと。
否定的なことを言わないだけではなくて、肯定的な喜びの言葉を口にすると、神様が嬉しい気持ちになって、どんどんえこひいきしてくれるようになります。神様は、喜ばれると嬉しいみたいです。

えこひいきをされてみたい人は、やってみるとおもしろいかもしれません。肯定的な言葉をなるべく口にすること。夕焼けがきれいなら「きれいなのよね」。雨が降っていたら「虹が出るんじゃないか」と見回してみましょう。

もしきれいな虹が出たとしたら、それは神様からのメッセージ。「あなた方との約束を忘れていないよ」「肯定的な言葉を口にしている人には味方になりますよ」ということを示しているからです。






たしかに「思考は現実化する」とか「引き寄せの法則」、「なんでもかんでもポジティブ思考」みたいな考えは、西洋的な考え方ですね。これはこれで参考になると私は思っています。

ただ最近は「陰と陽、ポジティブとネガティブ、プラスとマイナスはひとセット。光があたれば必ず影ができる。表だけのコイン、裏だけのコインはない」、というようなことをいう人も出てきました。(東洋的には昔からある考え方ですね)

あまりポジティブやネガティブに偏らず、中心軸に戻るようにしましょう、一喜一憂するのはやめましょうと。

ただ、仏教的な「欲は無くしましょう」「無の境地に至る」のような考え方も偏りすぎているように私は思います。

やはり極端にならず中道、中庸でいくのがバランスがとれていいのかと。





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  1. 2017/05/26(金) 20:40:00|
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「100%幸せな1%の人々」 小林正観 著 その55

「100%幸せな1%の人々」 小林正観 著 中経出版 2012年 より

<55 悲惨な犯罪もすべて「神の承諾」の下で起きている。つまり敵意や憎しみを抱くことは、「さらなる犯罪を呼ぶだけ」ということを教えてくれている>

私は学生時代から「唯物論者」なので、神や仏を前提としてはものを考えていません。しかしこれまでの研究の成果として、神も仏も、守護霊も精霊も存在するのではないかと思うようになりました。そして、世の中に起きているどのようなことも、すべて神の承諾のないことは起きない、という結論に到達することになりました。

一般の人が言う、「悲惨な」出来事や「不幸な」出来事も、ものすごく大きな「悲劇」というものも、すべて「神の承諾」の下で起きているのではないか、と思うようになったのです。

繰り返して言っておきますが、私は今も唯物論者です。かなりガチガチの唯物論者であり、現象がその事実を証明しないかぎり、信じません。
しかし、いろいろな現象を何千、何万と見つめてきた結果、神というものが存在するのではないかと思うようになってきました。そして、世の中に起きるすべてのことは、私たちの感覚では「良い」とか「悪い」というとらえ方ができたとしても、神の承諾を受けていないものはない、という結論にならざるを得ませんでした。

神が私たちに求めているのは、その現象について、悲惨であるとか不幸であるとか評価・評論をすることではないように思えます。神が私たちに求めているもの、宇宙が私たちに求めているものは、おそらく次のようなことなのです。

一般的に「ひどい」とか「悲惨だ」と言われる事件が起きたとしても、その報道を1億人の人がニュースで見たとします。そして、人々がその犯人について「ひどい奴だ。許せない。絶対に死刑にしろ。報復をしてもかまわないんだ。世界中を探し出してその人間を殺すべきだ」と言って、敵意と憎しみの塊になったとします。

そのとき、上空から見下ろしていて喜ぶのは誰でしょうか?
「悪魔」という存在でしょう。
「悪魔」は、人々が仲よしで、お互いに笑顔で、となり合った人を助け、温かい空気の中でともに生きていく、ということを大変に嫌います。敵意と憎しみのあるところにだけ悪魔は住むことができるからです。

それに対して、「自分ができることはまわりにしてあげよう」とか「できるかぎり自分が喜ばれる存在になろう」という心を持っている人が増えると、悪魔は住むところがなくなって、とても困ります。

ですから、悪魔は、多くの人々の敵意や憎しみの感情が芽生えるようにいつも願っています。1億人の人が、その事件の犯人を許せないと思い、敵意と憎しみをかき立てられたとしたら、上空で微笑んでいるのは、悪魔という人でしょう。

一方、神という名の存在の方は、大変悲しい思いをしていると思います。もし逆に、1億人の人がその事件を見聞きして、こう考えたらどうでしょう。
「『私』の敵意や憎しみの延長線上に、この犯罪や出来事がある。『私』が敵意や憎しみを持っていることは、この人たちが社会に対して敵意や憎しみを発散させたことと何の違いもない。もしこの人たちの敵意や憎しみを発散したことについて自分が否定的に思うのならば(こういうことがあってはならない、あってほしくないと思うのであれば)、まず自分の心の中から敵意や憎しみを取り去ることだ」

1億人の人がこういうふうに考えたとき、その出来事が起きたことに意味があったといえます。多くの人が自分の中の敵意や憎しみを見つめ直すことができたなら、「私のメッセージが理解されて嬉しい」と神はニッコリ微笑むのかもしれません




ブログをご覧いただきありがとうございます。


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  1. 2017/05/10(水) 21:30:00|
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プロフィール

phm202

Author:phm202
ブログをご覧いただきありがとうございます。

40代半ば 男性 神奈川県在住 プロラボ勤務経験あり 主にデュープと複写作業をしていました フォトマスター検定1級 写真専門士

好きなこと・・・写真撮影(鉄道写真など) 読書(自己啓発、成功法則、ビジネス系など)

累計納税額日本一の事業家 斎藤一人さんの考え方、生き方に影響を受けています。

使用機材
PENTAX K-m
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